こんばんは、夜明(よあ)です。
最近、Twitter を拝見していて、皆さんお疲れ気味だなあ……と、勝手ながら感じています。
一生懸命生きているからこそ、悩むし、辛くて苦しいですよね。
その苦しみを自覚していたからこそ、私は心理学を志したと言って過言ではありません。
向き合うことはこの世界を生きる中で、最も苦しいことのひとつです。
心理学を志したことがある方なら共感していただけるかもしれません。
心理学生は、心を抉られ胃を痛くしながら、卒論・修論・博論を書きますよね。
「向き合うこと」は、皆さんへと手放しにおすすめできることではありません。
でも、もしも興味があれば……
今回は(元)心理学生の立場から、ひとつ。
心理学に明るくない人でも読みやすい、心理学の名著をご紹介いたしますね。
愛は技術か
今回ご紹介するのはこちらの著作です。
著者のフロムは、「真に人間的な生活」とは何か、そしてそれを可能にする社会的条件を追い求めた研究者です。
エーリッヒ・ゼーリヒマン・フロム
(Erich Seligmann Fromm、1900年3月23日 – 1980年3月18日)
ドイツの心理学・精神分析学者。
フロイトの精神分析理論に、マルクスやヴェーバーの社会的視点をもたらした「新フロイト派」の代表的な存在とされた。
真に人間的な生活とは何か、それを可能にする社会的条件とは何かを終生にわたって追及したヒューマニストとしても有名である。
画像はWikipediaより引用
フロムは冒頭、我々にこのように投げかけます。
愛は技術だろうか。技術だとしたら、知力と努力が必要だ。それとも、愛は一つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提の上に立っている。しかし、今日の人々の大半は、後者のほうを信じているに違いない。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
思えば、わたしたちの生きる現代社会は、「理想的な愛に囚われている」とは思いませんか?
ラブロマンス映画では、運命的な出会いを果たした2人の人間が、魂を共鳴させ燃えるような恋に落ち、愛のままに結婚する……
フロムは、現代社会の愛についての3つの誤解が「理想的な愛への囚われ」を生み、「愛は先天的な能力である」という価値観に繋がっていると述べています。
そしてその愛についての3つの誤解とは以下です。
- 愛の問題を「愛する能力の問題」ではなく「愛されるための課題」として捉えている。
- 愛の問題は、「対象」の問題であり「能力」の問題ではない。
- 恋に「落ちる」という最初の体験と、愛「している」という持続的な状態とを混同している。
「自由な愛」という新しい概念
「愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手を見つけることは難しい」
このように考えている人が多いのではないでしょうか?
私もそう考えてしまう節があります。
しかし、そもそも愛と結婚が結びついたのは近代以降。
この「ロマンティック・ラブ」という新しい愛の概念によって、
愛する能力よりも、愛する対象が重要であるという価値観に変化していったのです。
続けて、フロムはこのように指摘します。
いずれにせよ、ふつう恋心を抱けるような相手は、自分自身と交換することが可能な範囲の「商品」に限られる。私は「お買い得商品」を探す。相手は、社会的価値という観点から望ましいものでなければならないし、同時にその相手は私の長所や可能性を、表にあらわれた部分も隠された部分もひっくるめて見極めた上で、私を欲しがっていなければならない。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
耳が痛い……!
1958年に刊行された書籍とは思えません。いつの時代も人間は同じようなことで悩んでいますね。
ちなみに私は、これに関して三島由紀夫のこの言葉を心に刻んでいます。
どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。
三島由紀夫『不道徳教育講座』
これは一見すると非常に強くて酷な言葉なのですが、三島節の効いた「愛の技術」への指南とも取れます。
愛してもらおう、ではなく、能動的に愛することが鍵なのです。
恋は一時の体験、愛は持続的な状態
それまで赤の他人同士だった2人が、互いを隔てていた壁を突然取り払い、親しみを感じ、一体感を覚える瞬間。
これは恋に落ちるという一時の体験です。
恋に落ちる瞬間というものは奇跡めいています。
しかし、親しさが一定を超えると、奇跡は薄れ、やがて反感、失望、倦怠を生んでしまいます。
奇跡めいた恋に落ちる瞬間を愛であると誤解しているため、恋に落ちた体験が過ぎ去ってしまった時に、愛が失くなったと感じてしまうのです。
愛の理論
さて、愛についての誤解を提起したところで、フロムは我々を導く方向を示します。
- 愛の理論について学ぶ
- 愛の習練について教える(しかし語るべきことは多くない)
多くの学問がそうであるように愛も同様、理論を叩き込んで、あとはシンプルな習練あるのみだということですね。
フロムはこの章で、5つの愛についての理論を論じています。
- 兄弟愛
- 母性愛
- 異性愛
- 自己愛
- 神への愛
この「愛の理論」が、こちらの著書のメインパートであり、いずれも読み応えのある内容となっています。
ここでは、私自身の最大の関心事、自己愛パートを一部ご紹介しますね。
自己愛
他人を愛するのは美徳、自分を愛するのは罪。
そんな意識が、知らぬうちに根付いているかもしれません。
「謙遜」という文化も一役買っているかもしれませんね。
自己愛、ナルシシズムと言われる人物に見受けられる「利己主義」は、果たして自己愛の成せるものなのでしょうか?
フロイトによれば、利己的な人間はナルシシズム傾向がつよく、いわば自分の愛を他人から引き上げてしまい、自分自身に向けている。たしかに利己的な人は他人を愛することができないが、同時に、自分自身を愛することもできないのである。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
私の卒論は『自己愛と自己嫌悪感情の両価性』についてだったのですが、言いたいことはつまりはこれです。
不健康な自己愛(=利己主義)を持つ人間の「自分自身に向けた愛」は見せかけだけの虚勢であり、その実、同等かそれ以上の自己嫌悪を感じているのではないでしょうか?
利己主義をよりよく理解するには、たとえば子どもをかまいすぎる母親に見られるような、他人に対する貪欲な関心と比べてみればいい。そういう母親は、意識のうえでは、心から子供を愛していると思いこんでいるが、じつは、関心の対象にたいして深く抑圧された憎悪を抱いている。彼女が子どもをかまいすぎるのは、子どもを愛しすぎているからではなく、子どもを全然愛することができず、それを償おうとしいているのだ。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
自分自身を純粋に愛することは、我々が人間である以上は、人間の実存の証明であり、肯定です。
自分を愛することを通して、他者、ひいては世界を愛することができると言えるのでしょう。
以上のような自己愛をめぐる思想をこのうえなくみごとに要約しているのは、マイスター・エックハルトである。「もし自分自身を愛するならば、全ての人間を自分と同じように愛している。他人を自分自身よりも愛さないならば、ほんとうの意味で自分自身を愛することはできない。自分を含め、あらゆる人を等しく愛するならば、彼らを一人の人として愛しているのであり、その人は神であると同時に人間である。従って、自分を愛し、同時に全ての人を等しく愛する人は、偉大で、正しい」。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
愛の習練
そしてフロムは愛の習練について説きます。
必要なことは4つ
- 規律
- 集中
- 忍耐
- 最高の関心
では実際に何を行えばいいのでしょう?
フロムはいくつか述べていますが、ひとつだけ紹介しましょう。
一人でいられるようになること
もし、自分の足で立てないという理由で、誰か他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、二人の関係は愛の関係ではない。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
数年前にティファニーの広告が話題になりましたよね。
『ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う』
夫婦や結婚という形に限らず、愛とはひとりの自立した人間が持てるものなのかなと考えさせられます。
さて、話を戻します。
一人でいる練習とは具体的に何をすればよいのでしょう?
フロムは我々にこのような提案をしてくれました。
- リラックスして椅子に座る
- 目を閉じ、瞼の裏に白いスクリーンを見るようにして、邪魔してくる映像や想念を全て追い払う
- ただ自然に呼吸し、呼吸を感じる
- 「私」の世界を私が創っていく感覚を感じ取れるよう努力する
これを毎朝20分と、夜寝る前にできるだけ長く続けるとよい。
とのことです。現代でいうマインドフルネス瞑想のような感覚でしょうか。
ガイド音声等、優秀なアプリがあるので、初心者の方はそちらを活用してみてもよいかもしれません。
こちらの記事の冒頭で、おすすめの瞑想アプリを紹介していますので、よろしければご参考までに……
愛するということ
簡単ではありますが、かいつまんで
心理学の名著、エーリッヒ・フロム『愛するということ』をご紹介いたしました。
興味があられる方は、実際に読んでいただいた方がいいのかなと思います。
なにせごく一部のエッセンスしかご紹介できていないので……
今回記事を執筆するにあたり、私も久々に読み返して新たな発見がたくさんありました。
私自身、いまだに愛の技術を習得できてはいません。
しかし、私が私の心の歪さに向き合うのはもはやライフワークとも言える大切な時間となりました。
今回、私と似たような悩みを抱える方にとって、少しでも新たな気づきがあればいいなと思います。
それでは、また。
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