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ファム・ファタールに学ぶ“人たらし”の魔術。『悪女入門』書評

life style

こんばんは、夜明(よあ)です。

私は普段、余程のことが無い限り小説しか読みません
ものの1時間で読み終えることのできるハウ・トゥー本や、同じことしか言わない自己啓発本から得られる知識には興味がないと決めてかかっているからです(傲慢でしかありません)。

よって新書を手に取る機会は5年に一度あれば多い方という有様。
それも何らかの必要に駆られてというのが実際です。

しかし先日、吸い寄せられるように導かれるように私の懐に収まってしまった新書がありました。
思えば人生で初めての大事件です

その名も
 『悪女入門 -ファム・ファタル恋愛論-』

みなさん一度や二度ならず、人生で数百回は「悪女になりたい!」と思ったことがありますよね
私はあります

(誰かの)人生を滅茶苦茶にしてみたい!

そんな破滅願望、誰しもが持っていますよね?
え、持っていません……?

人には言えない私の秘められた願望を叶えるためのハウ・トゥー本がこの世に存在しているとは!
まさに“運命の”1冊だったというわけです。

フランス文学から読み解く“悪女”のエッセンス

『悪女入門』というからには私たち悪女見習いを導いてくれる先生が必要ですよね。
ちゃんとしたお手本を見せてくれるのでしょうか?
何せ悪女です。自称悪女では興醒め

その点、心配は要りません!
私たちの先生は100年以上も悪女として世界を魅了してきた女性たちです。

そう、彼女たちはフランス文学のヒロイン(=ファム・ファタール)
総勢11名が私たちに進むべき道を示してくれます。

  1. 健気を装う女『マノン・レスコー』
  2. 脳髄のマゾヒズム『カルメン』
  3. 「小娘」が化ける瞬間『フレデリックとべヌレット』
  4. 自らに恋を禁じたプロフェッショナル『従妹ベット』
  5. 「金銭を介した恋愛」のルール『椿姫』

……他6講

ファム・ファタールとは一口に言っても、様々なパターンがあるようです。
それもそのはず、彼女たちは天性の魅力に磨きをかけて悪女として名を轟かせるところとしたのです。

私たちも自分の魅力を引き出すコツを彼女たちから学び、悪女への一歩を踏み出しましょう

ファム・ファタール=命取りの女

さて、ファム・ファタールとはどのような定義なのでしょう?
こちらの著書ではこのように定義づけられています。

つまり、ファム・ファタルとは、その出会いが運命の意志によって定められていると同時に、男にとって「破滅をまねく」ような魅力を放つ女のことを指すというわけです。

鹿島茂『悪女入門』

さながら、理性が本能に抗えないといったところでしょうか。
岡村靖幸が「愛はおしゃれじゃない」と歌ったように、恋もまた理性ではないわけで。
人間という生き物は、大抵禁じられるとそれを犯したくなるものなのです

著者の鹿島先生いわく、ファム・ファタールは相対的な関係の中で生まれる女性の魔性なのだそう。

ファム・ファタールは1人でファム・ファタールなのではなく、何者でもない女性が特定の男性との組み合わせによってファム・ファタールになる

つまり、ファム・ファタールとは現象の一つなのです

さすれば果たして世の中全ての男性にとって絶対的なファム・ファタールたる女性はいないのか?
というと、それはNon. (いいえ)だそう。

絶対的なファム・ファタールは存在するが、その才能を開花させるには引き金となる男性との出会いが不可欠とのことです。

悪女とはサービスである

悪女、それは周りが勝手に貢いでくれるもの、その果てに破滅していってくれるもの。

と思ってはいませんか?それは大間違いです!
なぜなら悪女とはサービスだから

今回は
 第4講 自らに恋を禁じたプロフェッショナル『従妹ベット』より
ヴァレリー・マルネフをご紹介します。

鹿島先生いわく、ヴァレリーはプロの悪女です。
いくら最初にインパクトを与えていたとしても、ターゲットにふらふらと迂闊に近づくことはしません。

まずはターゲットのこれまでの恋愛遍歴を調べ上げること
そして集めた情報から、ターゲットが今求める恋愛の相手を分析します

鹿島先生は著書でこうおっしゃっています

 そうです、ほとんどの女性が誤解していますが、男をひきつける女の魅力とは、美貌でもスタイルでも、ましてや心でも頭でもないのです。男がかくあってほしいと願う女に自分を重ね合わせる変身能力、これこそが一般に「女の魅力」と呼ばれているものの根源です。

鹿島茂『悪女入門』

フランス文学を素材とする特性上「男と女の二元論」となっていますが、これって人間関係の真理ではないですか?

誰だって、友達や家族、恋人を見るときに自分というフィルターを通して主観的に見ています
目の前の相手をそのまんま受け入れている自信はありますか?

私にはありません

私は目の前の相手を、こうあって欲しいという願いのもとに見つめているし、相手も私に対して無意識にそういう類の願いを持っていると思います。

だから相手の望んでいるであろう姿を演じるし、相手の欲しがる言葉を発する

相手の言葉や仕草から受け取る情報は、自分の願いというフィルターにかけられているのに
そのまんま真っ直ぐあなたを見つめていますよ、なんておこがましくて言えません。

話を戻しましょう、プロのファム・ファタールたるヴァレリーは集めた情報からこう推察します。

ターゲットは奔放な恋愛を繰り返しては捨てられていた。
今度はこれまでの女たちとは一味違う、貞淑な人妻と恋愛がしたいのだ。

そしてターゲットの求める姿を100%演じるのです。

ファム・ファタールはありのままの自分を愛してもらおうとはしない
相手の心の中にいる自分に沿って演技をする。

相手の自己愛を満たす

相手の心の中にいる自分と現実の(演じている)自分の姿が、一致すればするほど魅力は増していきます

というのも「自分が見立てた通りの人間だ。」という認識を得ることは、自分の正しさを証明するものであり、自分を肯定することであり、自分の価値となります

悲しいかな人間という生き物は、自分にとって心地のいいものをそばに置きたがるものなのです
そして、他人の持ついいものに対して羨むのもまた人間

ヴァレリーはターゲットの心の姿に沿って演じ続けるうち、ターゲットの周りにいる人間をも魅了していきます
周りの人間は、ターゲットの持ついいもの(=ヴァレリー)が欲しくなってしまうのです。

この時点でヴァレリーはある種ブランド化しています。
〇〇の女だから欲しい奪って優位になりたい

この感情を利用して、ヴァレリーはさらにファム・ファタールとしての魅力を発揮していくのです。
ヴァレリーを得ることは、自分の心の中の女を得ることであり、同時にヴァレリーを欲しがる他の男よりも優位に立つということでもあります

二重に自己愛を満たすことができるのです。

話が少しそれますが、なぜ人間は自己愛を満たしたがるのか?という話をしましょう
学術的な話ではありません。私個人の見解です。

私が書いた卒業論文のテーマは「自己愛と自己嫌悪感情の両価性」についてでした。
簡単にいうと、私の仮説は

自己嫌悪感の高い人間は、同時に高い自己愛傾向を持つ。
自己愛傾向の高い人間は、同時に高い自己嫌悪感を持つ。

というものです。
強すぎる自己愛の裏には、認めたくない自己嫌悪感情があるのではないでしょうか?

その自己嫌悪感情を否定するために、自己愛を満たすために、
外の世界で相対的に自分が選ばれているという実感を持ちたい。自分の価値を確認したいのです。

自分の価値再認識させてくれる存在に、きっと人間は依存していくのでしょう

ファム・ファタールは自分自身をブランド化する。
ブランド化した自分自身を与えることで、相手の自己愛をも満たす

男と女の二元論にはとどまらない“悪女”ノウハウ

かいつまんでではありますが、鹿島茂先生『悪女入門』のエッセンスを一部ご紹介させていただきました。

「フランス文学」というテーマの特性上、こちらの書籍は男と女の二元論に終始しています(せざるを得なかったのでしょう)。

しかし、この11講にわたる悪女ノウハウをさまざまな関係性に置き換えてみましょう。

  • ビジネス
  • 友人
  • 恋人

全てにおいて有効ではありませんか!

それもそうですよね。
恋愛というものは、いわば人間関係の一つに過ぎないのですから

どこまで破滅してみるかは皆さんの匙加減次第。
悪女になって周りを翻弄させてみませんか?

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